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みかんのたね

薬学や研究の話、くだらない話、愚痴などを書きます。

音について小考

部屋の中でじっと静かにしていると、色々の音がきこえてくる。
時計の針が時を刻む音。隣人が家の門を開け閉めする音。男女とも判別のつかない幼い子供がはしゃぐ声。
それから、冷蔵庫がうなる音。部屋で鼻をすする音も、私の意志とは関係なく耳に入ってくる。根津弥生界隈の日曜の昼下がりは、比較的にいって静かである。自動車が殆ど通らないから。山手線から離れるとどこも地下鉄なので、電車がとおる音も聞こえてこない。近くに港もないから船の汽笛も鳴らない。むかし横浜に居た頃は、風向きによって汽笛の音が聞こえてくることがあった様に記憶している。今日は鳥も鳴かない。耳をすませば、ただ耳鳴りが金属的な不協音を奏でる。耳鳴りには私が物心ついて以来永らく悩まされている。普段気に留めなければ何と言うことはないのだけれども、静かな場所に置かれると、どんどんと世界が甲高い金属的な音に包まれていく。このことは、解ってくれる人と、そうでない人とが居るらしい。

音が「聞こえる」とはどういうことか。
被験者をならべて「ポーンという音が聞こえたら右手を挙げてください」と言えば、素直な人は右手を挙げてくれるかも知れない。意地悪な人が居れば「聞こえない」と主張してきかないかも知れない。或いは手を挙げた人の中にも、その実はポーンと鐘を叩く実験者の腕の動きを見るのに合わせて右手を挙げただけかも知れない。いやひょっとすると、音波によって生じる空気の密度変化を、屈折率の変化としてやはり「見て」手を挙げる能力を持つ人が居ないとも限らない。いわんや第六感などを持ち出されてはもう「お手挙げ」である。それでも日常の用には「耳鳴りが聞こえる」といっても特に支障はないのであるが、ともすれば自分の「耳鳴り」のもとをたどると、視触味温痛冷云々といった諸感覚に源泉があるのではないかと疑りたくもなる。それらはいずれも神経細胞による巨大な回路を基盤にして、お互いにつながりあって最後は脳で「統合」されている。だから「足が冷えると耳鳴りがする」ということがありそうなのと同様に、「りんごを見ると耳鳴りがする」ということがあってもおかしくはないとおもう。りんごといえば、宇宙では耳鳴りはするのだろうか。