みかんのたね

薬学や研究の話、くだらない話、愚痴などを書きます。

Halifax情報(前編)

この夏はカナダの東の端にあるハリファックスという町に滞在しているのですが、ウェブ上ではどうも現地の情報が少ないこともあり、折角の機会なので記事を書いてみようと思います。

 

まあ、カナダのメジャーな都市挙げてって言われて、ハリファックスを挙げる人は居ないでしょうし、そもそも名前すら聞いたことの無い人が殆どだと思います。(バンクーバーモントリオールトロント、オタワ…とかは聞いたことがあるかと思います。)

 

ハリファックスはここです。

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もうちょい拡大しますか。

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州で言うとノバスコシア州(Nova Scotia)ですね。

ニューヨークやボストンは近いです。飛行機で3時間くらい。

 

ハリファックスへ日本から直行便は(多分)無いので、トロントとかで乗り継ぎになると思います。Door to Doorだと普通に日本から24時間以上かかるので、可能なら乗り継ぎ都市で1泊か2泊くらいしたいところでしたが、まあどうせ時差ぼけで何もできないでしょう。

 

最寄りの空港(Halifax Stanfield International Airport)から都心部までは大体40kmくらいで、バスを乗り継いでも行けます。空港のHPから事前にタクシーを予約でき、大体70カナダドルくらいで都心まで出られます。私は到着が深夜だったので事前に予約しましたが、昼間なら多分予約しなくても大丈夫だと思います。

 

さらに拡大するとこんな感じです。

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正直、来る前は島だと思っていたのですが、実は半島ですね。

そして地図だと分かりにくいのですが、基本的には車が無いと都心部以外どこにも行けないです。私は今回国際免許証を忘れたので、遠出するのは諦めました。電車も無いです。完全な車社会です。

 

ちょっと北の方に300kmくらい(!)行くと赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島があるのですが、車が無いとちょっと行くのは厳しいですね。自転車を借りるってのは正直ありなんですが、往復600kmなので私の実力だと10日では帰ってこられないと思います。自信のある方はトライしてみて下さい。

 

徒歩+バスとかで移動できるのはこのあたりまで。

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この写真の上端から下端までがだいたい20kmなので、歩いたら4~5時間かかります。歩かないですけど。20kmって、都内の感覚で例えると上野〜蒲田くらいです。まあ、大地震の日とかで無ければ歩かないですよね。

上の地図の真ん中の「ハリファックス」と書いてある楕円形の一帯がいわゆる都市部なのですが、この中だったらまあ歩いても一周できます。南北8km東西4kmくらいの一帯に都市としての機能が集中してる感じです。ちなみに4kmがおよそ上野〜東京くらいの距離で、徒歩だと1時間くらいです。

 

住民は、圧倒的にイギリス系が多いですね。おそらく80%超えてるんじゃないかな?日本人は…2ヶ月に一度見かけるかどうか…という状況。中国語を話している人は、町を歩けば一回はすれ違うかな、という感じです。上野の街に比べれば確実に少ないと思います。「Canada Day (7月1日、カナダの建国記念日)は超混んで歩けない程だよ!」とか言ってる人も居ましたが、正直土日のアメ横のほうがよっぽど混んでますね。

 

ちょっと寂しいこともありますが、語学留学をする場所として考えた時に、これはハリファックスのいいところかなと思います。日本人が居ると、結局日本人の集まる場所で日本語話して終わってしまうことが結構あると思いますが、ここではそう言うことは絶対にないですね。あとは、アメリカの様に入国の瞬間から極端なアクセントの英語に心を折られることもなく安心感があります。

 

町並みは都心部からちょっと歩いたあたりでこんな感じ。(google ストリートビュー

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 都心部の一番栄えてるかな〜という場所でもこんな感じです(同じく)。

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この写真の場所から東に5分くらい歩くと海が見えます(同)。

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対岸に見えてるのはダートマス(Dartmouth)の街で、ここからフェリーで10分くらいで行けます。

 

Canada Dayには花火があがるとのことで足を運びましたが、日本の花火に比べるとちょっと寂しい感じでしたね。それでも、ドローンを飛ばしている人がいて、離陸と着陸の時に軽く周囲が盛り上がったりしてなかなか面白かったですね。日本ではドローンが規制されてしまっているので、私にとってはドローンを間近で観る初めての機会でした。

日本も、都心部はさておき田舎ではドローンを活用してもいいんじゃないですかね?物流とか、相当変わると思います。ネットスーパーで注文すると3時間後にドローンが玄関前に荷物落として行くとか、超絶便利じゃないですか?薬局とかで活用できたら、いいと思うんですけどね。

 

Halifaxは、南にはPoint Pleasant Park、西にはLong Lake、東はHalifax Water Front...などがバス圏内ですし、料理もロブスターをはじめ海産物が豊富です。地元のビールもあります(Alexander Keith's)し、食事も充分楽しめると思います。緯度が高いこともあって、夏は21時くらいにならないと暗くならないですので、体内時計の管理が難しいかもしれません。気温は、7月でも20度前半で、夜は相当涼しくなります。日中は半袖で涼しく、夜は半袖では寒いくらいです。逆に冬は相当寒いのだと思います。

 

後半はお店やおすすめスポットの紹介などをメインにしようと思います。

2016-0623

The fear for unknowns plays a certain role in shaping the way you communicate with strangers. The curiosity for unknowns drives a motivation of scientists toward novel findings, whether or not it is merely an incremental. The ways, looking apparently different, seem to root in a nature, perhaps being genetically given, and appears so close to you when you walk in 'new' world both in geographic and/or in scientific contexts. 

 

Salutation would be a good example, being recognized as vital greetings that firstly tell someone that you are not their enemy. You can observe people making salutations in any cultural group of human society, and even in animals, though in different ways of it. Seeing ones who getting in a way you are not familiar with, you tend to feel uncomfortable, and even become unfriendly to them. I could not help considering this tiny event as one possible origin of discriminations when a race faces to another race.

 

Nowadays, in developed societies, people are used to strangers. They know that a stranger could have different background, and what seems arrogant to you is not necessarily what he/she intended, but still they are not well set about how they can 'ice-break'. No matter how subtle a border between nations become, you'd better pay a certain consideration of this. It works in the same way when you start working in a new laboratory or a new company, as when you start living in a new country. 

 

What is friendliness? This is almost equal to answering a question 'what's unfriendliness?” The way you find friendly/unfriendly is not necessarily the same as others judge friendly/unfriendly. This makes the problem even more complicated, making it farer from possible 'reconciliation'. When you stand a counter of Tim Hortons for the first time from Japan, you might be shocked in some way. That is OK. Take your time, have a deep breathe. You can think a bit more about it in retrospect on another day. What made you uncomfortable? What if you were in their position? What if you were in their position, and standing in front of an Asian who is not looking at your eyes and not making any salutations nor any instant conversations, and even throwing coins on the counter to ask you collect them? You could seldom understand that the one is new to this society, and grown in a society where people bend their bodies to one another instead of looking at eyes and shaking hands, having been taught that looking at other's eyes at first contact and handing coins/bills directly to other person are even arrogant, regards being silent in a public area as the top priority in terms of etiquette, etc.

 

A sensible person could find this occurring as they spent time in a new place, but, to be honest, it is still not perfect. Those who paying a special care regarding such potential conflicts could even oversee their 'arrogant-to-other' behaviors. What is tricky is that there is no clear cut 'surgery' to this problem, but, at least, you can minimize the risk of 'trespassing in bare feet' by your effort. It is the fear for unknowns that gives a rise to all the problems. 

『研究的態度の養成』

私は寺田寅彦の書く随筆が大変好きだ。彼の様に、思考の翼でもって宇宙の森羅万象を不思議混沌の中を縦横無尽に自由に飛び回り、且つそれを私のような人間にも追随できる平易な日本語でもって表現する能力に恵まれた人は珍しい様に思う。私は彼のことを、我が国におけるサイエンスコミュニケーションの父祖的存在だと勝手に思っている。

 

寺田寅彦 研究的態度の養成

 

今週は後半から体調がすぐれず、金曜日などは毎週欠かしていなかったパブめぐりも休んで一日床に臥せっていたのだが、土曜日になって少し快復したと見えた。気晴らしにとコバーグ通りまで歩いて喫茶店で過ごしていると、何もしないで居るのも手持ち無沙汰なので上記の随筆など読んでいた。

 

ただ一口ですべての現象を説明し得るというような感じを起させるのはよくない」

科学は絶対のものでない、なおいくらも研究の余地はある、諸子の研究を待っているという風にしたいと思うのである」

 

このことは私自身の体験から言っても、非常に大切なことだと思われる。2008年に駒場教養学部の二年生であったとき、夏には進路を決めなければならないというので主に産・官のどちらかで悩んでいたのだが、そんな時に「動物科学」を担当されていた道上達男先生の講義を聴講していた。珍しい名前だったし、単位まで取ったのだが結局最後まで名字をなんと読んだらいいのかが解らずじまいだったので印象に残っている。

確か道上先生はちょうどその年の春から駒場に着任されて、新進気鋭の若手教員という感じは何となく伝わってきていた。駒場の二年生になると、私のように大学受験で生物を受験科目にしなかった学生でも、一年生の時に「生命科学」を履修しなければならないから、通り一遍の細胞生物学・分子生物学的な基礎は身に付いている。私は「動物科学」というからてっきりサイの角の地域的差異のような類いの内容を講義されるのかと思っていたのが(いま考えればそれはZoologyだ)、そうではなく分子生物学・細胞生物学の実験手法について色々と講義をしてもらったのを記憶している。日本だけに限った話ではないかも知れないが、どうも高校〜大学学部前期課程までの科学教育においては法則の理論的記述や四則演算をくまなく学ぶ機会は多いのだが、実際にそれをどういう方法で計測・検出するのかという実感が伴わないのである。それで、道上先生の講義はとても面白かった。細胞内小器官(オルガネラ)の分画、はこういう試薬を使ってこれくらいの速度で遠心してこうしてこうやる・・・etc (つまり密度勾配遠心)といったことを色々講義して下さった。それで、何かの時に抗体作成の話になって、抗体がどういう仕組みで遺伝的にコードされていて、多様性がもたられるかという講義の回があった。ざっくりいてVDJ組み替えの話だが、私はその時先生に「抗体の二つのFab領域は常に相同なのか」という趣旨の質問をして、先生は「どうなんだろ」をお答えになった。この経験は私の人生にとって決定的な瞬間だった。教科書の先に一歩踏み出すと、もう教官でも即決は出来ないような世界が広がっているということを初めて知ったのがこの時だったからだ。あの時は今振り返っても、正直シビれた。

この経験がきっかけになって私は研究の道に進むことを考えて、今に至っている。

 

ただし、一見して新しそうなことを言えば(論理的・理論的にでたらめであったとしても)もてはやされる風潮が一部にあるのは残念だが事実である。いわゆる「車輪の再発明」的な研究が、局所的には評価されることもあるのである。寺田も上の文章を次の様に締めくくっている。

 

ただ一つ児童に誤解を起させてはならぬ事がある。それは新しい研究という事はいくらも出来るが、しかしそれをするには現在の知識の終点を究めた後でなければ、手が出せないという事をよく呑み込まさないと、従来の知識を無視して無闇むやみ突飛とっぴな事を考えるような傾向を生ずる恐れがある。この種の人は正式の教育を受けない独創的気分の勝った人に往々見受ける事で甚だ惜しむべき事である。」

2016-0609

今日は日本語で。吐露したい気持ちは色々あるけど、かいつまんで書く。ざっくりまとめると、今まで受けてきた教育は何だったのかという想い。自分が大学院で研究室の教員たちから言われてきたこと(皆さんそれぞれ微妙に違う考えの様だが)って、

 

・君は態度がわるい

・君はマナーが悪い

・親のしつけがなってない

・研究が出来なければクズ

・朝9時にラボに来ないやつは退学

・態度が悪い学生が居たら退学に追い込め

・君の靴の音が気に食わないから靴を買い替えろ

・yes/no 以外の質問は禁止

・ラボで研究以外の会話禁止

・ていうかそもそも会話禁止

・EtBrでべたべたの環境を何とかしません?といったら「それで癌になるのが怖いなら研究者をあきらめるべき」

・優秀な研究者はみんな家庭崩壊してる(皆って誰?そして、だから何だ?)

 

などなど...まあ改めて書いてみると本当にこんなこと言われるラボが今時あるの?っていう感じだけど、いやあるんですよね。今は(人が殆ど居なくなり、かつ僕の立場が結構が上になってきたおかげで)だいぶマシになりましたけど、僕が学部生で入った頃なんて、当時たくさん居た諸先輩がたは(言葉は悪いけど)完全に洗脳されてましたから。いや、彼らラボの外で会うと普通にいい人たちなんだよね!まじで!!でも研究室という「場」が、何か不思議な力を持っていたのだと思います。

当時(今でも?)研究室では学生はPCを使っては行けないルールになってまして、いやそんなのこの時代にあり得ないでしょ?どうやって大量のデータ解析するのよ?…それで普通に自分のPCを持ち込んで(ある程度かくれて)データいじってたら、ある先輩が劣化のごとく怒る事件もありました。その先輩、終電なくしてた(僕は近くに住んでたので終電という概念はなし)し、多分僕に対して嫌がらせとかじゃなく、本当にラボのルールを徹底しなきゃいけないという正義感で怒ったのだと思います。とにかくそういう雰囲気でした。

 

まあそれはさておき、上記に例を挙げた様な言葉を振り返ってみると、研究そのものに対する指導がまるで無いことに気づく!笑 いや本当に、何がしたかったんですかね?今となっては本当に意味不明です。

 

それで今振り返って思うことは、この何年かの間に(おそらくそういうラボの方針が1つのきっかけとなって)科学の道を歩むことを辞めた方々は本当に賢明というか、常識・良識のある方々だったんだなという事です。何だかんだで「我慢するのが賢明じゃね?研究好きだし」っていう態度を貫いてた私自身が、実は批判されるべきだったのでは?とすら思います。とても悲しい。僕の周りには、明らかに人間的にも知力体力的にも私より優れていたひとがたくさん居て、学部生として研究室に来た時にみんな博士くらいはいこうと思っていた。だけど、みんな辞めちゃった。みんな今はとても幸せそうに社会生活を送っているから、それ自体に不満は無いけれど、研究者を輩出する場所である大学院でそういう事が起こっちゃってたのはとても悲しい。多分、責任の一端は私にもあるな。

 

それで私はこれから、そういう悲しい想いをする人が少なくとも私の周りには出ない様に努力したいと思います。少なくとも「態度が悪い」だとか「君はクズだ」とか言わないようにしたいと思いますし、本質的にはやはり多様なバックグラウンドの人間を受容することが必要なんだと思います。「自分のやり方や価値観が唯一絶対の正義だから、それにあわないやつは消えろ」という傲慢な態度が大なり小なり人間にはあって(多分これは脳の仕組みとしてそうなってるのだと思う)、それはゼロにすることは出来ないと思うのですが、もうすこし理性的に制御することは出来るかなと思います。

 

それから同時に大切なのは、チームのメンバーの選定だと思います。いや、ボタンの色まで統制されている方が好きって人は、実は結構いるんですよ。これが結構やっかいで、そう言う人に「もっと自由にやれよ」っていってもなかなか出来ない。ルールに従って行動するという習慣しか持たなかった人に、問題設定から入って必要な行動に落とし込んで行く行動パターンを押し付けるのは難しいです。つまり「自由の強制」もまた苦痛に感じる人が居る訳です。したがって、そういう人にはそれにふさわしい仕事を与えてあげたらいいと思います。「ルールに縛られる人を排除する」ってのは「ルールを守れない人を排除する」ということと根本的には同じだと思います。研究室でいえば、ラボマネージャーとかテクニシャンとかは、どちらかというと決められたことをきちっとやってくれる人の方が助かると思います。したがってこれはチームメンバーの「選定」というよりは「配置」といった方がいいかもしれません。

 

それで最近何となく見えてきたのは、自分と似た価値観の人はとても力になるし、自分と違う価値観の人もとても力になるという事だと思います。で、具体的な仕事のプロセスはあくまで「プロセス」であって、価値観の強要が目的ではないですね。プロセスの存在意義は、タスクの達成です。従って、タスクと人員と資源が与えられて初めて、適切なプロセスが定まるといっていいと思います。あるアウトプットOの達成に対して最適なプロセスをPとするとそれは少なくともアウトプットO、人員M、 資源Rの3つのパラメータを使って、P=P(O, M, R)と表せるという事です。普通はO=O(P, M, R)って考えるんじゃないですかね?なんかどうしてもプロセスPを所与のものとして固定して考えてしまいがちなんですよね。機械が部品を組み立てる工場とかのイメージで。その辺のスタンス変えてみると、今までと違ったチーム作りが出来るかなという気がしてます。

 

つまりメッセージは、

P=P(O, M, R)

ということです。

2016-0606

I have come to understand that experiments are just tactics, not strategy. Stategic point of view is one of the prerequisites (correct spelling?) for pricipai investigators. Interesting ... but in a small laboratory, we have no tactical support team. 

2016-0522

A week has passed since I landed this peninsula. (I did not actually know that Nova Scotia is a peninsula, not an island.) The scientific side of these days is somewhat slow, and I find miself feeling irritation. Irritation for what? It is no doubt that I am in a common process of 'adapting to a new country'; it is reasonable that I can not really concentrate in scientific activities. The PI of the host laboratory says that being relaxed gives you more time to think about science. It seems to be true, indeed, but it is also true that I have confronted such a problem in Japan, too. Remenber how hard is was to find/set myself in a seased and concentrated condition in a sense of scientist; I was surrunded by too many stuff both marially and mentally. A same thing happens but in different ways. Thanks for a good chance to face myself, and to ... keep going.

 

2016-0519

This is going to be the first entry in my days in Canada. 

Here in Halifax, Nova Scotia is now experiencing a pretty nice (indeed, it's so nice) days, and what is amazing here is that we have fifteen hour daytime! Even around eight pm it doesn't get so dark at all. 

The way people work in scientific activities seem a bit different (whethere or not it is a better way) from what is going on in Japan. Well, it seems just stating the obvious that the way of how scientists work depends on scientist to scientist, but just for PI now I am working with, she stays somewhere in a good balance between thinking and benchworks.

2016-0506

時間がないと判ると急に普段やらないような仕事を手がけてしまうものだ。ラボヘッドが替わるというので、特に意味もないがデスクのいらない書類をシュレッダーにかけたら、ゴミ袋2包分になった。その作業の途中で三度シュレッダーがオーバーヒートする貴重な経験にも恵まれた。どうしても保管して置かなければならないのは実験ノートの類なのだが、半分ネット世代(10台前半まではインターネットはまだなかった)の私は、検索できない知識から価値を見出すことが不得手なので、そのうち実験ノート(私は基本的にすべて手書きで記録している)もデジタルアーカイブにしたいものだ。蓋し最初からデジタル機器で記録すればよいのだろうけれども、大学入学までの学問的基礎訓練の時期を紙の参考書と紙のノートとインクで過ごした私にはどうもデバイスが肌に合わない。それでも、特に論文などは放っておくと机に山のように積まれ、数年後にシュレッダーを泣かせるだけの無用の長物になってしまうことが実感できたので、なるべく(なるべく!)コンピュータの画面で読み、コンピュータの中にアーカイブするように心がけている。知識を整理するためのいろいろなアプリケーションを試しているが、まるで初めて研究室に入ったときに実験ノートをつけるのに苦労したのを思い出すような気分で、試行錯誤している。結局、ポケットサイズのノートが、今のところは最も重宝している道具である。

2016-0425

音楽理論は、一見よく整理されているようで、よくわからないことだらけだ。

440 Hz 、880 Hz、1320 Hzの音が、いずれも同じAの音に「聞こえる」という現象が、どういう生理学的メカニズムによっているのかもわからないし、その能力がヒトという種にとってどんな意義があるのか(環境適応の文脈で)、ちょっと考えてみただけでは答えが出そうにない。 

2016-0414

やはり通説というのはあてにならない。特定のトピックに対して思索を始めるための足がかりとしてはいいのだけど、あくまで足がかりであるということをいつでも忘れてはいけないのだ。