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みかんのたね

薬学や研究の話、くだらない話、愚痴などを書きます。

2016-0609

今日は日本語で。吐露したい気持ちは色々あるけど、かいつまんで書く。ざっくりまとめると、今まで受けてきた教育は何だったのかという想い。自分が大学院で研究室の教員たちから言われてきたこと(皆さんそれぞれ微妙に違う考えの様だが)って、

 

・君は態度がわるい

・君はマナーが悪い

・親のしつけがなってない

・研究が出来なければクズ

・朝9時にラボに来ないやつは退学

・態度が悪い学生が居たら退学に追い込め

・君の靴の音が気に食わないから靴を買い替えろ

・yes/no 以外の質問は禁止

・ラボで研究以外の会話禁止

・ていうかそもそも会話禁止

・EtBrでべたべたの環境を何とかしません?といったら「それで癌になるのが怖いなら研究者をあきらめるべき」

・優秀な研究者はみんな家庭崩壊してる(皆って誰?そして、だから何だ?)

 

などなど...まあ改めて書いてみると本当にこんなこと言われるラボが今時あるの?っていう感じだけど、いやあるんですよね。今は(人が殆ど居なくなり、かつ僕の立場が結構が上になってきたおかげで)だいぶマシになりましたけど、僕が学部生で入った頃なんて、当時たくさん居た諸先輩がたは(言葉は悪いけど)完全に洗脳されてましたから。いや、彼らラボの外で会うと普通にいい人たちなんだよね!まじで!!でも研究室という「場」が、何か不思議な力を持っていたのだと思います。

当時(今でも?)研究室では学生はPCを使っては行けないルールになってまして、いやそんなのこの時代にあり得ないでしょ?どうやって大量のデータ解析するのよ?…それで普通に自分のPCを持ち込んで(ある程度かくれて)データいじってたら、ある先輩が劣化のごとく怒る事件もありました。その先輩、終電なくしてた(僕は近くに住んでたので終電という概念はなし)し、多分僕に対して嫌がらせとかじゃなく、本当にラボのルールを徹底しなきゃいけないという正義感で怒ったのだと思います。とにかくそういう雰囲気でした。

 

まあそれはさておき、上記に例を挙げた様な言葉を振り返ってみると、研究そのものに対する指導がまるで無いことに気づく!笑 いや本当に、何がしたかったんですかね?今となっては本当に意味不明です。

 

それで今振り返って思うことは、この何年かの間に(おそらくそういうラボの方針が1つのきっかけとなって)科学の道を歩むことを辞めた方々は本当に賢明というか、常識・良識のある方々だったんだなという事です。何だかんだで「我慢するのが賢明じゃね?研究好きだし」っていう態度を貫いてた私自身が、実は批判されるべきだったのでは?とすら思います。とても悲しい。僕の周りには、明らかに人間的にも知力体力的にも私より優れていたひとがたくさん居て、学部生として研究室に来た時にみんな博士くらいはいこうと思っていた。だけど、みんな辞めちゃった。みんな今はとても幸せそうに社会生活を送っているから、それ自体に不満は無いけれど、研究者を輩出する場所である大学院でそういう事が起こっちゃってたのはとても悲しい。多分、責任の一端は私にもあるな。

 

それで私はこれから、そういう悲しい想いをする人が少なくとも私の周りには出ない様に努力したいと思います。少なくとも「態度が悪い」だとか「君はクズだ」とか言わないようにしたいと思いますし、本質的にはやはり多様なバックグラウンドの人間を受容することが必要なんだと思います。「自分のやり方や価値観が唯一絶対の正義だから、それにあわないやつは消えろ」という傲慢な態度が大なり小なり人間にはあって(多分これは脳の仕組みとしてそうなってるのだと思う)、それはゼロにすることは出来ないと思うのですが、もうすこし理性的に制御することは出来るかなと思います。

 

それから同時に大切なのは、チームのメンバーの選定だと思います。いや、ボタンの色まで統制されている方が好きって人は、実は結構いるんですよ。これが結構やっかいで、そう言う人に「もっと自由にやれよ」っていってもなかなか出来ない。ルールに従って行動するという習慣しか持たなかった人に、問題設定から入って必要な行動に落とし込んで行く行動パターンを押し付けるのは難しいです。つまり「自由の強制」もまた苦痛に感じる人が居る訳です。したがって、そういう人にはそれにふさわしい仕事を与えてあげたらいいと思います。「ルールに縛られる人を排除する」ってのは「ルールを守れない人を排除する」ということと根本的には同じだと思います。研究室でいえば、ラボマネージャーとかテクニシャンとかは、どちらかというと決められたことをきちっとやってくれる人の方が助かると思います。したがってこれはチームメンバーの「選定」というよりは「配置」といった方がいいかもしれません。

 

それで最近何となく見えてきたのは、自分と似た価値観の人はとても力になるし、自分と違う価値観の人もとても力になるという事だと思います。で、具体的な仕事のプロセスはあくまで「プロセス」であって、価値観の強要が目的ではないですね。プロセスの存在意義は、タスクの達成です。従って、タスクと人員と資源が与えられて初めて、適切なプロセスが定まるといっていいと思います。あるアウトプットOの達成に対して最適なプロセスをPとするとそれは少なくともアウトプットO、人員M、 資源Rの3つのパラメータを使って、P=P(O, M, R)と表せるという事です。普通はO=O(P, M, R)って考えるんじゃないですかね?なんかどうしてもプロセスPを所与のものとして固定して考えてしまいがちなんですよね。機械が部品を組み立てる工場とかのイメージで。その辺のスタンス変えてみると、今までと違ったチーム作りが出来るかなという気がしてます。

 

つまりメッセージは、

P=P(O, M, R)

ということです。

2016-0606

I have come to understand that experiments are just tactics, not strategy. Stategic point of view is one of the prerequisites (correct spelling?) for pricipai investigators. Interesting ... but in a small laboratory, we have no tactical support team. 

2016-0522

A week has passed since I landed this peninsula. (I did not actually know that Nova Scotia is a peninsula, not an island.) The scientific side of these days is somewhat slow, and I find miself feeling irritation. Irritation for what? It is no doubt that I am in a common process of 'adapting to a new country'; it is reasonable that I can not really concentrate in scientific activities. The PI of the host laboratory says that being relaxed gives you more time to think about science. It seems to be true, indeed, but it is also true that I have confronted such a problem in Japan, too. Remenber how hard is was to find/set myself in a seased and concentrated condition in a sense of scientist; I was surrunded by too many stuff both marially and mentally. A same thing happens but in different ways. Thanks for a good chance to face myself, and to ... keep going.

 

2016-0519

This is going to be the first entry in my days in Canada. 

Here in Halifax, Nova Scotia is now experiencing a pretty nice (indeed, it's so nice) days, and what is amazing here is that we have fifteen hour daytime! Even around eight pm it doesn't get so dark at all. 

The way people work in scientific activities seem a bit different (whethere or not it is a better way) from what is going on in Japan. Well, it seems just stating the obvious that the way of how scientists work depends on scientist to scientist, but just for PI now I am working with, she stays somewhere in a good balance between thinking and benchworks.

2016-0506

時間がないと判ると急に普段やらないような仕事を手がけてしまうものだ。ラボヘッドが替わるというので、特に意味もないがデスクのいらない書類をシュレッダーにかけたら、ゴミ袋2包分になった。その作業の途中で三度シュレッダーがオーバーヒートする貴重な経験にも恵まれた。どうしても保管して置かなければならないのは実験ノートの類なのだが、半分ネット世代(10台前半まではインターネットはまだなかった)の私は、検索できない知識から価値を見出すことが不得手なので、そのうち実験ノート(私は基本的にすべて手書きで記録している)もデジタルアーカイブにしたいものだ。蓋し最初からデジタル機器で記録すればよいのだろうけれども、大学入学までの学問的基礎訓練の時期を紙の参考書と紙のノートとインクで過ごした私にはどうもデバイスが肌に合わない。それでも、特に論文などは放っておくと机に山のように積まれ、数年後にシュレッダーを泣かせるだけの無用の長物になってしまうことが実感できたので、なるべく(なるべく!)コンピュータの画面で読み、コンピュータの中にアーカイブするように心がけている。知識を整理するためのいろいろなアプリケーションを試しているが、まるで初めて研究室に入ったときに実験ノートをつけるのに苦労したのを思い出すような気分で、試行錯誤している。結局、ポケットサイズのノートが、今のところは最も重宝している道具である。

2016-0425

音楽理論は、一見よく整理されているようで、よくわからないことだらけだ。

440 Hz 、880 Hz、1320 Hzの音が、いずれも同じAの音に「聞こえる」という現象が、どういう生理学的メカニズムによっているのかもわからないし、その能力がヒトという種にとってどんな意義があるのか(環境適応の文脈で)、ちょっと考えてみただけでは答えが出そうにない。 

2016-0414

やはり通説というのはあてにならない。特定のトピックに対して思索を始めるための足がかりとしてはいいのだけど、あくまで足がかりであるということをいつでも忘れてはいけないのだ。

2015-0326

私には教育的仕事は向いていないなあと感じるこの頃。自分で研究をしている時の様な興奮を覚えないし、私の今のポジションだと教育は仕事ではないし。正直に言って、細かい実験の仕方について、卒業のための単位を集めにきた学生に教える時間は無価値に思えてしまう。そういう自分の感性は、今後変化する可能性はあるかも知れないけれど、根本的には変わらないとおもう。歳も歳であるし。柔軟にかわることができる10代の頃とは違うのだ。

研究を面白いと思うかどうかは、指導者の力が三割くらい寄与すると思うけれども、やはり個人の資質や興味の問題。他人がどうにかできる話ではないなあ。

今日は土曜日だったけども、学生が誰も現れなかったので、ついに一日誰とも話さなかった。平日なら人がいるかと言うとそうでもないので、もう少し活気のある場所に居た方が私はモチベーションあがるのにな、と無い物ねだりの週末。

褒めるとか叱るとかいうことについて

人を育てる時に、①褒めて育てるのがよいのか、②叱って育てるのがよいのかという議論は尽きない。本当に尽きない。褒めすぎるとかえって伸び悩むという意見もあれば、叱ることによって芽を摘んでしまうケースがあるという意見もある。

私はどちらの言い分も理解はできるけれど、あまり①vs.②の二元論で考える必要もないと感じている。人間の成長段階によって異なるかも知れないが、今の私にとっては①だろうが②だろうが、自分と言う存在を大切にしてもらえれば正直どっちでもいい。私は仕事のために生きているのではなく、生きるために仕事をしているのだ。仕事のために私と言う存在があるのではなく、私と言う存在のために仕事があるのだ。そのことを共有できている間柄であれば、仕事上のことは①でも②でも...というか①と②を状況に応じて使い分けるのが通常だと思う。遊びであれ仕事であれ「私はあなたという人間を尊重しています」という想いを共有することが人間関係の前提であって、それを抜きに①も②もないと思うのだが、その大切な前提のところを軽視しすぎてや居ませんか。

昆虫の羽化について

昨日と今日は大学入試センター試験ですね。試験会場になっている大学構内は立ち入りが制限され、研究室での実験も制限されているのでこの2日間は、大学で研究をする者にとっては公休のようなものになっています。センター試験は土日に行われるので、あまり恩恵を感じることは無いかもしれませんが。

ちなみに、国立大学の二次試験が行われる2月25日および26日もおなじ扱いですが、こちらは年によって平日になったりもするので、平日に堂々と翅を伸ばすにはよい機会です。

 

ところでこの「はねをのばす」という表現は、「翅」と「羽」のどちらが正しいんですかね?白鳥や鶴といった鳥類が翼を伸ばして休む、というなら「羽」でしょうが彼らは休む時に翼を折り畳んでますよね?あれ、そもそも「はねをのばす」っていうのは休むってことではなくて、のびのびやるという意味でしたっけ。

わたしは「はねをのばす」という言葉に対して、昆虫の羽化(セミの翅が段々とのびていく感じとか)を連想してしまうので何となく「翅」のほうがしっくりきます。翅を伸ばして成虫になる、という方が何となくかっこいい。

 

昆虫が羽化するときに、どうしてあの縮こまった翅がピンと張れるのか、大変興味深いです。皺になった布をのばす時には、熱と圧力をかける(アイロンの原理)のが有効ですが、翅が伸びるのに必要な力はどこから来てるんでしょうかね?血流とか?

例えば羽化の瞬間、翅が伸びるまえに翅を切り取ったら、その翅は伸びるんでしょうか?それとも縮んだままでしょうか?これは簡単に実験できそうですね。